府中基地跡と旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕

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府中基地跡のパラボラアンテナ

1.府中基地跡の概要

府中基地跡は、東京都府中市浅間町にあった旧軍・米軍の通信拠点であり、その歴史は戦前の陸軍時代にまでさかのぼる。もともとは1940年(昭和15年)に陸軍燃料廠として設置され、戦時中は航空燃料の研究・生産を行う重要な施設だった。終戦後の1945年9月、米軍がこの地を接収し、以降はアメリカ空軍の通信および指令系統の拠点として再利用されることになる。冷戦期に入ると、極東地域における軍事通信の要所として整備が進み、敷地内には兵舎や通信棟のほか、直径数十メートルに及ぶ巨大なパラボラアンテナが建設された。このアンテナは、軍事衛星通信や長距離通信の中継を目的として設置されたとされ、その圧倒的な存在感から「府中の白い耳」と呼ばれることもあった。

1957年には、米軍施設の一部が航空自衛隊へ引き渡され、府中基地としての共同利用が始まる。以降は米軍と自衛隊が同じ敷地を分け合う形で運用され、通信関連施設としての機能を維持し続けた。しかし1970年代に入ると、米軍の通信網再編が進み、府中の役割は次第に縮小していく。1975年6月、米軍基地としての大部分が日本に返還され、跡地の管理は日本政府へと移った。その後も一部の施設では自衛隊による運用が続けられたが、1980年代に入る頃には通信施設としての役割を終え、実質的にその機能を失うこととなる。

2.旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕の概要

白糸台掩体壕は、かつての旧陸軍調布飛行場の一部として造られた戦争遺構。太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)頃に建設され、航空機を空襲から守るための格納壕として使われていた。

掩体壕(えんたいごう)とは、戦闘機を敵の爆撃から守るために土やコンクリートで覆って隠す施設であり、その形状から“飛行機の防空壕”とも呼ばれている。

3.実際に行ってみた

府中基地跡内の建物。フェンス越しに少しだけ見える。

続いて、パラボラアンテナを撮影できる場所に向かう。

パラボラアンテナの側面が見える場所に到着。解体の噂があったものの、ひとまず残っていて安心。

住宅街から巨大なパラボラアンテナが見える。

今度はこちらの駐車場で2本のパラボラアンテナと通信用鉄塔を正面から撮影していく。

パラボラアンテナが一基しか見えない。。。

背伸びしたら2基撮影できた😅

無事パラボラアンテナの現在の様子を撮影できたので続いては旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕に向かう。

到着!

軍用機が入るだけあって奥行きがある。

昔の掩体壕の写真を見ると、現在も残っていることの凄さを改めて実感する。

難易度:★☆☆☆☆

道は全てGoogleマップにも載っているため簡単。しかし、基地跡内部は立ち入り禁止になっている。内部に入ればパラボラアンテナを登ることもできるらしい。内部ツアーがあれば是非行ってみたい。

怖さレベル:★☆☆☆☆

住宅街から眺めているだけなら、大丈夫。

【所在地】

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